嫌われものの蚊も役に立つ:嗅覚受容体の利用

  「蚊帳の外」(かやのそと)というのは、「大事な情報などを知らされない」「仲間はずれ」といった意味合いで使われますが、M君の少年時代はそれがまさに実感として分かる時代でした。というのも、当時どこの家庭でも夜は蚊帳をつり、その中で寝ないと蚊に刺されるので、蚊帳の外では辛い、大変なことになったからです。

  最近は、猛威をふるう新型コロナウイルスの感染者数や死者数が連日報じられていますが、半世紀前の日本では、夏になると日本脳炎が猛威をふるい、感染者数や死者数が今と同じように連日報じられていました。日本脳炎は、日本脳炎ウイルスにより発生する疾病で、蚊を介して感染し、意識障害などを起こしたり、死に至る病として当時は恐れられていました。実際致死率は約20%程度もあり、半数以上は脳に障害を受け(「脳炎」たる所以です)、麻痺などの重篤な後遺症も問題でした。従って、蚊はM君の少年時代には本当に恐ろしい存在でした。

  雌の蚊は、産卵のために栄養分が宝庫な動物の血液が必要であり大好きです。蚊の吸血行動は、動物の様々な匂いによって引き起こされますが、たとえば、汗に含まれている2-メチルフェノ-ルや乳酸、オクテノ-ル、2-ブタノンなどの匂い物質が知られています。蚊は、口吻の毛髪のような構造の下にある嗅覚神経細胞の嗅覚受容体で、それらの匂い分子を感知しています。

  では、ヒトでは感知できない微量の汗の匂いを感知できる、蚊の利点を活用できないのでしょうか。最近、東京大学大学院情報理工学系研究科や生産技術研究所、神奈川県立産業技術総合研究所の研究グループは、蚊の触角に存在する嗅覚受容体を利用し、呼気中に含まれている代謝物を検出できる匂いセンサを開発しました。

  研究グループは、嗅覚受容体を人工細胞膜上に組み込んだ匂いセンサが、水溶液に溶解した匂い分子に対して識別能力をもつことを示してきました。しかし、匂い分子の多くは水に難溶性であるため、空気中に漂う匂いに対して嗅覚受容体の優れた能力を引き出すことができませんでした。そこで今回は、効率的に匂い分子を水に分配することのできる微細なスリットを搭載した匂いセンサを作製し、水に難溶性の匂い分子でも効率良く検出できるようになりました。

  蚊の嗅覚受容体は、特定の匂い分子と結合するとイオンを透過させるための孔を開きます。この微小なイオンの流れ(イオン電流)を計測することで、嗅覚受容体 1 分子レベルの挙動を捉えることができます。ヒトの汗や呼気に含まれているオクテノ-ルは、0.5 ppb(ppmの千分の一)の濃度でも蚊の嗅覚受容体を刺激し明確な信号を出すことが分かりました。すなわち、この匂いセンサ-は、呼気という極めて複雑な組成に含まれたオクテノールをppbレベルという低濃度で選択的に嗅ぎ分けられることがわかりました。

  このように人工細胞膜に蚊の嗅覚受容体を組み込んだ感度の高い匂いセンサが、呼気に含まれる微量の匂い物質を嗅ぎ分けることができることから、様々な応用展開が今後期待されます。(by Mashi)

・五十にして都の蚊にも喰われけり(小林一茶)

年寄りは蚊にあまり刺されないというのに、花のお江戸で五十にもなって刺されたというプチ自慢か。

参考文献:Tetsuya Yamada et al., Highly sensitive VOC detectors using insect olfactory receptors reconstituted into lipid bilayers. Science Advances (2021) DOI:10.1126/sciadv.abd2013

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