生体内の硫化水素は両刃の剣:統合失調症との関連


 硫化水素(H2S)といえば、誰でも「毒ガス」というイメ-ジを思い浮かべ、「生理活性物質」にはなかなかつながらないと思います。しかし、硫化水素が噴出する海底火山には、これを利用する生物がいますし、メチオニンのように硫黄分子を含むアミノ酸類を私達は利用しています。

 この硫黄を含む生体内物質を代謝する酵素の研究から、硫化水素が代謝経路の副産物として考えられるようになりました。実際1990年前後に哺乳類の脳に内在性の硫化水素が存在することが初めて報告され、硫化水素は何らかの生理活性を持つことが予想されました。最近では、4種類の酵素が生体内で硫化水素を生成していることが分かっています。

 最近では、生体内での硫化水素の働きは、神経保護因子(抗酸化作用、抗アポト-シスほか)、シグナル分子(記憶や海馬の増強、平滑筋の弛緩ほか)、神経調節作用などが知られています。血管の弛緩を引き起こす生体内ガスとして、一酸化窒素(NO)や一酸化炭素(CO)がよく知られていますが、実は硫化水素にもその作用があります。

 このように、硫化水素は大切な生理活性物質ですが、産生が過剰になると「毒」としての作用が問題になります。最近、理化学研究所脳神経科学研究センターを中心とする共同研究グループは、脳内の硫化水素の産生過剰が、統合失調症の病理に関係していることを発見しました。

 統合失調症は、約100人に1人の割合で思春期に好発発する比較的頻度の高い精神疾患です。現在利用できる治療薬のほとんどは、神経伝達物質の受容体をブロックするものですが、副作用や治療抵抗性の問題があります。新たな統合失調症治療薬の開発が充分に進んでいない理由の一つは、統合失調症の新規治療薬をどのような原理に基づいて開発すればよいのか分からない、という現実があるようです。

 共同研究グループは、統合失調症に類似の形質を持つマウスを用いて、脳内のたんぱく質をプロテオミクス解析により網羅的に調べました。その結果、それらのマウスの脳では、硫化水素の産生酵素が多く発現しており、実際統合失調症に特有の生理機能の低下も観察されました。硫化水素の産生酵素をノックアウトしたマウス、反対に硫化水素の産生酵素を高発現させたトランスジェニックマウスで調べると、硫化水素の反応でできる脳内の硫黄化合物の量と、統合失調症に特有の生理機能の低下が相関していました。

 さらに、ヒトの統合失調症で硫化水素の代謝がどのようになっているか検討するために、種々のヒト由来試料を調べました。その結果、統合失調症患者の死後脳では、硫化水素産生酵素の遺伝子の発現が健常者に比較して上昇しており、実際酵素たんぱく量も上昇していました。また、硫化水素産生酵素の発現レベルが高いほど、生前の臨床症状が重症だったことも分かりました。

 この硫化水素産生の亢進は、ある種の脳症患者やダウン症患者でも観察されています(図参照)。硫化水素が疾病の本質的な要因なのか、病状の悪化要因なのかは現時点では不明ですが、脳内で硫化水素量が増えるのは、あまりよくないようです。(by Mashi)

・月花や四十九年のむだ歩き (始終苦年をもじった小林一茶の句)

参考文献:Masayuki Ide et al., Excess hydrogen sulfide and polysulfides production underlies a schizophrenia pathophysiology. EMBO Molecular Medicine (2019) DOI: 10.15252/emmm.201910695

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