目に関する日本語のことわざ、慣用句は、とても多いのに比べ、英語圏では少ないことが知られています。目は口ほどにものを言う(目は口で話すのと同じくらい気持ちを相手に伝えることができる)、目は心の鏡(窓)(目を見ればその人の心がわかる)、目は人の眼(まなこ)(どんな人物であるか目に現われている)、などのように日本語の目のことわざは、その人の心のあり方などまでも推測しています。ではどうして日本語には目に関することわざ、慣用句が多いのでしょうか。
最近、京都大学大学院総合生存学館、熊本大学文学部、日本女子大学人間社会学部らの研究グループは、 日本の乳幼児の視線計測をおこない、「日本人は話者の目を見て、英語圏の人は話者の口を見る」という大人で報告されていた文化・言語差が、実は幼少期から既に存在することを見出し、発表しました。
研究では、生後6か月から3歳までの日本の乳幼児 120 人に、10 秒ほどの物語文を話している女性話者の動画を視聴してもらい、参加者が話者のどこを見るか視線計測をおこないました。視線計測の記録は、口を見ていた時間と目を見ていた時間を、顔を見ていた時間に対する比で比較しました。
欧米では、「生後数か月の乳児は目を選好するが、生後6か月以内に口への選好が明確になる」という発達的変化が知られています。調査の結果、日本の乳児でも 「目から口へ注意がシフトする」傾向は見られたものの、その変化の開始時期は遅く、変化の割合もずっとゆるやかで、明瞭な口の選好には至りませんでした。日本の赤ちゃんは、欧米の赤ちゃんよりは目への選好を基調として持ち続けることを示しています。
また、3 歳になると音声が明瞭な条件では目の選好が回復し、ノイズを強く付加された条件では口を見るという状況に応じた視覚的情報の利用もうかがえました。さらに、3 歳児でみられた目の選好の回復に関して、視線計測と語彙検査のデータの関係を調べたところ、2~3 歳児ではしゃべる語彙の多い子ほど話者の目をよく見ることがわかりました。これは、欧米の報告とは逆の結果でした。語彙発達が進むと、話を聴き取るために口を見る必要がなくなり、話者の感情推定など社会的情報の処理のために目を見るようになるのが日本人の特徴なのかもしれません。
こうした現象の背景には、日本語は英語に比べて音韻数が少なく、聴覚情報のみの聞き取りでも音声が理解できるので、口の動きの視覚情報を利用する必要性が小さい一方、日本語の口の動きから区別できる音韻が少なく、視覚的な情報価は低い、という日本語の特徴があるのかもしれません。日本における乳幼児の目の選好、英語圏の口の選好という違いは、日本におけるマスクの着用、西洋におけるサングラスの着用、といった日常行動における文化差の源としても理解できる可能性があると研究者達は考えています。(by Mashi)
・かすむやら目が霞やらことしから(小林一茶)
春霞で景色がかすんでいるのか、それとも今年から自分の目が老眼(現代から見ると白内障かも?)のためかすんでいるのか。
参考文献:Kaoru Sekiyama, Satoko Hisanaga, Ryoko Mugitani, Selective attention to the mouth of a talker in Japanese-learning infants and toddlers: Itsrelationship with vocabulary and compensation for noise. Cortex (2021) DOI 10.1016/j.cortex.2021.03.023
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