昆虫の「死んだふり」はド-パミン関連遺伝子が関与

    昆虫少年だったM君が、枝葉の先にいる昆虫を捕まえようとすると、虫が枝先から手足を離し、ぽろりと落ちてしまうことがよくありました。つまり、素早い逃げ方は、即座に手足が硬直して落下し、そのまま動かないことのようです。この「死んだふり」は擬死(ぎし)とも呼ばれ、外敵に襲われた動物が行う一種の防御行動と考えられています。ファ-ブルも、100年以上前にこの「死んだふり」を昆虫記に詳しく書いているようです。

    「死んだふり」をする動物は、昆虫に限らず哺乳類、魚類、鳥類、両生類、爬虫類など広く普遍的にみられる行動です。動いている対象は発見されやすいことを考えれば、この「死んだふり」は、天敵による捕食を回避するために有効な防衛戦略といえます。今回は、昆虫の「死んだふり」を制御する遺伝子群の探索を実施し、ドーパミン関連遺伝子が関与することを世界で初めて明らかにした研究をご紹介します。

    岡山大学大学院、東京農業大学、玉川大学農学部の共同研究グループは、米・小麦類の世界的重要害虫であるコクヌストモドキを用い、「死んだふり」時間の異なる育種系統間で遺伝子の解析をしました。その結果、チロシン代謝経路に存在するドーパミン関連遺伝子群が、系統間で大きな発現の差があることを明らかにしました。

    岡山大学大学院環境生命科学研究科の進化生態学研究室では、コクヌストモドキというゲノム情報が既知のモデル昆虫を使って、2000 年から19 年にわたり、少しでも刺激を与えると「死んだふり」を長く続ける系統と、どんなに刺激を与えても「死んだふり」をしない系統を、20 世代以上も育種し、確立しました。

    これらの系統の昆虫からRNA を抽出し解析を行い、そのデータを利用して遺伝子の発現解析を行いました。解析の結果、系統間では518個の発現の異なる遺伝子の存在が明らかになりました。系統間では脳内で発現するドーパミンの量が異なり、ドーパミンを体内に摂取あるいは、注射すると「死んだふり」の時間が短くなることから、ドーパミン関連遺伝子の関与が疑われ、解析の結果、系統間ではチロシン代謝系に関与するドーパミン関連遺伝子の発現が著しく異なることが明らかになったのです。

    今回の研究では、脳内で発現するドーパミンに左右され、「死んだふり」をする、しないという行動の差が、ゲノムレベルでも解明されたことになります。この発見は人の挙動に関する疾患についても重要な示唆を与えているような気がします。というのは、ドーパミン(医学・医療分野では日本語表記をドパミンとしている)は、中枢神経系に存在する神経伝達物質で、運動調節、ホルモン調節、快楽の感情、意欲、学習などに関わっていますが、統合失調症の陽性症状(幻覚・妄想など)はドーパミン過剰により生じたり、逆にパーキンソン病では、ドーパミンが減少し筋固縮、振戦、無動などの運動症状が起こることが知られているからです。

    ファ-ブルが昆虫の「死んだふり」を記述してから約150年。この「死んだふり」が150年後に遺伝子レベルで明らかにされるとは、彼は夢にも思っていなかったことでしょう。ところで人間も時には「死んだふり」をするのが、生き延びるコツかもしれません。(by Mashi)

参考文献:Hironobu Uchiyama,et al., Transcriptomic comparison between beetle strains selected for short and long durations of deathfeigning. Scientific Reports (2019), D O I: 10.1038/s41598-019-50440-5

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